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「青の洞門」は、禅海和尚 の慈悲の心が魂を動かしできた!

2022/06/29
 
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名前:Mr,G                              出身地:福岡県                              趣味:ドライブ・音楽鑑賞・DVD鑑賞・ガーデニグ             温泉!絶景!名所!パワースポット!大~好き&物語でためになる教訓・ブログで発信しま~す!                            ♫ 一度っきりの人生楽しもう!成功・幸せ・ハッピー ♬                   「笑っていたら良い事あるよ!」

ハッピー! Mr,G です。

今回は、大分県中津市の紅葉の名所 耶馬渓にある「青の洞門」の話です。

およそ250年前禅海和尚が羅漢寺で
参拝を済ませた後 この目で見た 山国川へ 人が落ちて帰らぬ人となる この現実に心を痛め

ノミと槌(づち)だけで岩を砕き、掘り進み30年かけ完成させました。

現在では、道路の拡張工事で洞門の大部分は 無くなりましたが 残された洞門には、

明り取りの窓や手彫りのノミの跡がしっかり残っています。

では、話に入ります。

 

 

青の洞門は、どんな ところに!

 

「青の洞門」は、

大分県の観光スポット耶馬渓にあり、山国川に
沿って高くそびえる競秀峰(きょうしゅうほう)の裾の所にあります。

全長は、約342mで、そのうちトンネル部分は、約144m

大分県の史跡に指定されるとともに、耶馬日田英彦山国定公園の中に含まれ

晩秋の紅葉時期には、観光客がたくさん訪れます。

春には 青の洞門の「青」に ちなんで
青色の花を咲かせるネモフィラが対岸一面を覆います。

 

なぜ、禅海には 洞門が必要だったのか?

 

諸国巡礼の旅をしていた禅海和尚は、宇佐神宮から耶馬渓につきました。

そして、耶馬渓の羅漢寺で参拝をすませ、ここで耳にした ことば は、
「多くの人が競秀峰の切り立った崖から、山国川へ落ちて帰らぬ人と なる場所があります」

村人に話を聞くと

中津藩主、小笠原長胤侯(おがさわら ながたね こう)が藩内の田畑に水をひき潤すために
荒瀬井堰(あらせいぜき)を作りました。

堰が 作られて山国川 上流の水位が上がり、川沿いの道が通れず、仕方なく通行人は

競秀峰の高い所にある切り立った崖の険しい道を通るしかありません。

その険しい道の中で 難所と言われたのが
「鎖渡し」で、岩壁に打ち付けられた鉄の鎖を命綱にして命がけで道を通っています。

禅海和尚が「鎖渡し」へ 向かう途中、人が山国川へ落ちて行くのを目にして、心を痛め

人々を深い悲しみや苦しさ から救うために洞門を掘ることにしました。

 

 

禅海和尚とは?

 

 

青の洞門の駐車場にある禅海和尚の像で、
こっちに向かって掘ってるみたいで迫力があります。

江戸中期の禅僧で越後の人
両親が この世を去った事で命の尊さ・はかなさ を 感じ仏門に入る。

江戸浅草で全国66か所の霊場に お経を収める僧になり

諸国行脚の途中、豊後(おおいた)別府 に至り
正徳5年(1715年)に得度(出家の儀式)して禅海と名乗りました。

 

 

禅海和尚が使ったノミと槌で、
長年 使い続けたため頭の所が平だったのが丸くへこんでます。

 

 

禅海和尚が托鉢をして資金を集めた鉢です。

 

「青の洞門」は、日本初の有料道路?

 

享保20年(1735年)ごろ、
人々が何事もなく安全にここを通れるように するため、豊前の国 中津藩主の許可を取り

ノミと槌だけを握って自分の力で岩を砕き、掘り始めました。

その後、周辺の村人や九州諸藩の領主の援助を
得るとともに禅海和尚は托鉢勧進(たくはつかんじん=教を説いて まわる)によって資金を集め

集めた資金で人夫や石工を雇い村人とともにノミと槌だけで掘り続けました。

寛延3年(1750年)に洞門を貫通させ
大供養が行われその後しばらくは「人は、4文」「牛・馬は、8文」とした。

通行料を徴収して後の工事費に当てました。

「青の洞門」は、日本で初めての有料道路と言われてます。

掘り始めて、30年余りの年月をかけた
明和元年(1764年)全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させました。

 

 

高さは 約2m 今では 下をコンクリートにして歩きやすくなってます。
側面や上面は手彫りの荒々しいノミの後がいっぱいです。

 

青の洞門の由来

 

1735年(享保20年)禅海和尚が人々を救済するため洞門を掘り始める。
1750年(寛延3年)洞門が貫通 通行料をいただき その後の工事費に当てる。
1764年(明和元年)洞門が完成

完成した当時は、「樋田の刳貫」(ひだのくりぬき)と呼ばれ
江戸時代末期から大正時代にかけ「樋田のトンネル」や「青の洞門」

今では「青の洞門」と呼んでいます。

1906年(明治39年)~1907年(明治49年)にかけ
陸軍の日出生台(ひじゅうだい)演習場への輸送路整備のため

大改修が行われ車両が通れるように拡張されました。

このため禅海和尚が掘った洞門は、かなり失われてしまい
今では明り取りの窓や手彫りのノミの跡がわずかに残っているだけです。

 

 

壁や天井にはノミで掘った荒々しい跡があり
禅海和尚や村人の思いが感じ取れます。

 

 

対岸から見ると明り取りの窓がいくつか見え、
窓の高さ から禅海和尚が掘った洞門の位置が分かります。

 

おわりに

 

禅海和尚が掘った「青の洞門」どうでしたか。

今だったら数年で完成するでしょう。

機械もない時代に人々を救いたいと思う慈悲の心で一途に掘った洞門、
ここを通るすべての人が救われました。

ぜひ「青の洞門」へ 行き 岩に残した魂の入ったノミの後を見て
禅海和尚の思いを感じてください。

禅海和尚が実際 使っていた遺品が 3kmほど離れた羅漢寺の禅海堂に
展示されています。

もしいかれる方は羅漢寺の情報はこちらです。

おわり        では、また!

 

現地情報

 

住所:大分県中津市本耶馬渓町曽木
TEL:0979ー52ー2211
(中津市本耶馬渓支所地域振興課)

駐車場:無料80台(大型10台)

交通アクセス:
東九州自動車道「上毛スマートIC」から約20分
中津日田道路「中津IC」から約20分

大分自動車道「日田IC]から約40分
大分自動車道「玖珠IC]から約30分

JR日豊本線 中津駅下車(バス)➡本耶馬渓 30分
JR久大線 日田駅下車(バス)➡本耶馬渓 1時間20分

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